知覧特攻平和会館 | ボトル二本とチョコレート
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狭く深くを信条としているつもりがいつの間にか広く浅くになってしまう.....

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知覧特攻平和会館

04 28, 2010 | Dialy

2 Comments
太平洋戦争末期、ここに陸軍特攻基地が置かれ、
多くの若者が沖縄の海に向かって散って行った場所であり、
その記録を後世に伝えるところ。
日本に育った男子として、
一度は行っておかねばならない場所だと思っていた。

まず、特攻隊員の像を見つける。
心の中で敬礼。
07 知覧兵士


続いて、特攻平和観音へ。
ここで、手を合わせると身の引き締まる思いだ。

長い、祈りを奉げた。
気がつくと誰もいなくなっていた。
その場所は、かつての出来事がまるで嘘のような
静寂が支配する、とても穏やかな空間だった。
08 知覧観音殿

すぐ横に特攻隊員たちが特攻の命令を受けるまでに過ごした
三角兵舎が建っていた。
若き特攻隊員たちはこんなに暗い場所で最後の時を過ごしたのか、
ここで彼らは何を思い過ごしたのだろうか、
などと考えると、どうしてもシャッターが押せなかった。

特攻平和会館へ。
09 特攻平和会館

入るとすぐのロビーに大きな絵が飾ってある。
特攻をやり遂げた血だらけのパイロットが、
何人もの天女たちに抱きかかえられて天に昇って行く。
それを見ただけでガツンと心に響く。

特攻隊員の遺書を目の当たりにする。
知覧の事も、遺書の事も知ってはいたけど
こうやって遺書を実際に目にすると心が締め付けられ
泣けてきてしょうがない。

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※ここから先、自分の思いの丈を綴っています。
 話が重いし、不快に感じられる方もいらっしゃるかも知れません。
 こういう話が苦手だと思われる方はどうか読み飛ばしちゃってください。
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知覧の特攻隊員のあまりにも有名な写真がある。
11 特攻少年兵2
この写真に写っている特攻隊員たちは全員が17,18歳の
ちょうど今の高校生ぐらいの少年たち。
明日に出撃命令を受けている特攻隊員たちだ。

明日、死ににいくのが分かっているのに、
どうしてこんなすがすがしくて自然な笑顔になるんだ。
まるで、放課後の部活動が終わって帰宅しようとしている
学生たちみたいじゃないか。

この少年たちはこの笑顔で間違いなくそこにいた。
次の日には全員が海へ散って行った。

さっき見た薩摩富士とあの青い海は、
この少年たちを、何百という特攻機を見送っていたのだ。
16 .開聞岳

自分のおじに当たる人が、海軍の零戦パイロットだった。
海軍なので知覧ではないが、同じ鹿児島の鹿屋から
沖縄の海へ特攻出撃して行った。

小さい頃、じぃちゃんやばぁちゃんにこの事を聞いてみたけど
あまり、話したがらなかった。
この少年たちを見ていると、何故かその気持ちが良く分かる。

戦争はやってはいけない。
戦争は悲惨だ。
確かにそうだ。

特攻は狂った命令だ。
特攻は無駄死にだ。
これも間違ってはいないのかもしれない。

俺自身、右でも左でもない。
今、学校でどういう戦争教育をしているのかは知らない。
特攻隊員の、あの戦争で死んでいった兵士たちの礎の上に
今の日本の平和が成り立っているなんて、堂々と言うこともできない。

ただ、あの時代に祖国を守るため、愛する者を守るため、
そうすることが一番なのだと信じて、ひたすらに、あの笑顔のまま、
散っていった命がある。

怖かったであろう、本当は死にたくなかったであろう、
その事を決して表に見せずに、かたくなに、あの笑顔のまま、
散っていった命もある。

そういう事を子供たちに教えていかなければならないと心に誓い、
知覧を後にする。

知覧の英霊たちに合掌。

道中、「富屋食堂」の横を通過した。
初めて見た。
12 富屋食堂
ここは特攻隊員たちの憩いの場だったところだ。
“ホタル”の話が有名だ。
映画「ホタル」や「俺は、君のためにこそ死ににいく」で
そのシーンを見る事ができる。

ここはまた今度絶対に訪れたいところだ。

« どうしても欲しいCD 鹿児島旅行 其の二 »

2 Comments

おはようございます。こんな朝っぱらからコメントしますが別に大学サボろうとしているとかそんなんじゃあないのでご理解ください……って言い訳みたいですが、9時から講義あります、悲しいです。

神風特攻隊については個人的な興味からいろいろ調べたことはあります。
いつもくだらねぇことブログで書いてる僕ではありますが、結構マジメな好奇心で特攻隊の本とか読んでました、ほんとです、信じて。

その写真は有名すぎてどの本にも載っていました。
この人たち、考えれば僕とあまり違わない年だということに驚かされます。
彼らは未来の日本を担うはずだったエリートだったのです。しかしこの笑顔を残したまま無謀な作戦によって散っていく。これほど悲しいことはありません。

“無駄死に”と表現されることはありますが、そういうと特攻隊で死んだ人たちに失礼なのではないか、と思ったりもします。
当時の白人の鬼畜っぷりは先住民虐殺やら黒人奴隷の例を見ても一目瞭然です。白人による植民地政策はひどいものがあった。
太平洋戦争もそうですが、特攻するまで追い込まれた状況では選択がなかったのでないか。
「国」のため、ではなく「家族」を守るために特攻したのではないかと。彼らの残した手紙にも「家族のために私は特攻する」というようなことが書いてあります。

決して特攻を賞賛し美化するつもりはありません。
しかし戦争は悲しいものだと感じることはとても大切なことではないかと。
心の底から思います。

はやく大学行かないと。

by いずき | 04 30, 2010 - URLedit ]

>いずきさん、

こんばんは。
さぼちゃだめだぜ、がんばれ。
って、僕も、なんで今日出ないかんのっと思いながら
暦どおり出勤してましたよ。

まず、こんなに気持ちの入ったコメントいただいて
心から感謝します。

正直、引かれるかなとも、思っていましたので、
コメントを読んで、そういう思いで記事を
読んでいただけたんだなと本当に嬉しかったです。

僕自身、戦争のなんたるかなんて全然分かっていないと思います。
今は本とか、テレビとか、映画とか、メディアからの情報でしか
知りえることしかできませんから。

しかしそういうメディアは作り手の思いが入るので
客観的な判断ができない場合があるような気がします。
右寄りだったり左寄りだったりってヤツです。

ある映画で特攻隊の意味を
「国体を守るため、7:3の講和を五分五分に持っていくため
米軍に対し圧倒的な恐怖を与えるために若い命が必要なのだ」
という表現がありました。
それが本当なら、とても悲しい事です。

あの戦争に負けた日本は、アメリカに支配されたまま
その後の教育で、"やんわり"と戦争した日本が悪いと思わせる
という方向に行っているような気がしてなりません。
外交上、全然五分五分にはなっていないのではないかとも思います。

なんか、言いたい事がうまくまとまってなくて、恥ずかしいですが、

特攻についてはいろんな意見・思想があるでしょう。
その事に肯定するつもりも否定するつもりもありません。
それができるのは唯一、散って行った特攻隊員とその家族なのでは
ないかと僕は思います。

ただ、僕は“特攻は無駄死に”とは絶対に思いたくありません。

by naokichiman | 04 30, 2010 - URLedit ]

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本日は、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館をご紹介します。 ここは戦時中に陸軍の飛行場があったところです。 館内には、特攻で若い命を散らした兵士たちの遺影や遺品などが、多数展示されています。 遺書も複数読むことができます。 ほとばしる熱い思いが綴られた遺書を読むうち、ワタクシ、胸打たれて涙が溢れてきました。 二十歳前後の彼らの思いが、一つ一つ胸に突き刺さってきます。 お国...

URL | 11 05, 2016


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